2021.06.24

「日本の課題は40年前から変わらない」鶴保征城氏に聞く、世界の先端ITと日本の活路

AIや5G、自動運転をはじめ、ITは多くの分野において日進月歩で進化し続けています。

特にこの1年は新型コロナウイルス感染拡大に対し、世界各国でITを駆使した対策も目立ちました。対して、日本では給付金の申請や接触確認アプリなど、ITをうまく活用できていない様子も見られます。

IT分野における、世界を取り巻く状況は。そして日本が抱えている課題は。データ通信の黎明期から日本のITを見つめてきた鶴保征城氏に、トレノケート取締役の杉島泰斗が話を伺いました。

▼前編はこちら

INDEX

目次

「危機感」がITへの学びを加速させる

技術があることと、それを何に使うかは、別の話

変わらない世界を変えるものこそ、テクノロジーである

取材先のプロフィール

鶴保 征城(つるほ せいしろ)氏

大阪大学大学院工学研究科電子工学専攻修士課程修了後、日本電信電話公社(現NTT)に入社。ネットワーク、IT、特に大規模ソフトウェアシステム構築及びソフトウェア生産技術の開発に従事し、NTT研究所長、NTTデータ常務取締役、NTTソフトウェア社長等を歴任。その後、高知工科大学教授に転じるとともにIPAのSEC所長に就任し、ソフトウェアエンジニアリングに関する大規模な産官学連携プロジェクトを指揮する。

現在、高知工科大学客員教授、学校法人HAL東京校長、組込みイノベーション協議会理事長、先端IT活用推進コンソーシアム会長、を務める。論文、著書多数。

インタビュアー

杉島 泰斗(すぎしま たいと)

トレノケートホールディングス 代表取締役社長。熊本県出身。東京工業大学を卒業後、SCSデロイトテクノロジー、不動産ポータルサイトLIFULL HOMES、株式会社クリスク 代表取締役を経て現職。

「危機感」がITへの学びを加速させる

杉島

前回は、鶴保先生のキャリアから、日本のデータ通信の歩みについて伺いました。今回は目線を現在に移して、鶴保先生が注目されている国や地域についてお聞かせいただければと思うのですが、いかがでしょうか。

鶴保

大前提として、リモートワークが急速に進んだ今は、以前と比べて地域による特性がだいぶ減っている、と思いますね。アメリカでも、住居費が高いシリコンバレーから拠点を移す動きがあります。特に、ダラスやサンディエゴ、ソルトレークシティーなどにベンチャーが集まっているようです。

ひと昔前のアメリカは、「西海岸にも東海岸にも日帰りで行ける」という理由で、テキサス州のダラスに本拠地を置く企業が多かったんですよ。タフな話ですが、いまはそんな移動をする必要もないですからね。

アメリカ南部テキサス州にある都市・ダラスは、 西海岸、東海岸につづく経済圏としても期待されている。

杉島

どこに拠点を置いても同じように仕事ができる時代、ということですね。

鶴保

国土の広いアメリカや中国は既に地域で技術開発をはじめていますし、日本も東京一極集中から変わっていくでしょう。国としての取り組みでは、エストニアをはじめとしたバルト三国やイスラエルがITに秀でていますよね。

杉島

なぜバルト三国やイスラエルはITに力を入れているのでしょうか。

鶴保

ひとつに産業の変遷があると思います。日本の場合、かつて製造業という柱があり、そこからサービス業が発展し、強い人材も生まれた。イスラエルやエストニアの場合、製造業やサービス業はもともとそこまで強くはない。そこにIT産業が出てきて、国として注力するようになったんですね。

杉島

限られた人材と資源を活用できるのが、IT産業だったと。

鶴保

さらに、エストニアはロシアから、イスラエルはアラブ諸国から、国自身の存在が常に脅かされている状況にあります。そんな環境下で、国民も「勉強して専門性を身につけねば」という危機感を持っている。両国ともIT教育に力を入れたのは、当然の流れでしょう。

杉島

危機感を持っていると、学ぶ側の姿勢も変わるでしょうね。

鶴保

危機感という意味では、私が校長を務めるHALの学生たちもそうなんですよ。クリエイティブの世界では、○○大学を出ましたという看板だけでは食っていけません。コンピューターグラフィックスやゲーム、アニメといった業界は、やっぱり手が動かないと話にならない。だから、みなさんものすごく勉強されていますよ。

杉島

なるほど、危機感が勉強の原動力になっていると。

鶴保

日本の場合、大学を出て会社に入れば、勉強しなくてもそこそこ食えるじゃないですか。そうなると勉強はしなくなる。やはり「食えなくなる」という思いがあると、人間は頑張るものではないかと思いますね。

技術があることと、それを何に使うかは、別の話

杉島

アジアのIT技術についても聞かせてください。やはりいま一番無視できない存在なのは中国ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

鶴保

仰る通り、中国でしょうね。技術開発やビジネス、そして国の政策が完全に合致していることに強みを感じます。モバイル関連でいえば、5Gで自動車やドローンを自動運転し、そこに搭載されたカメラをつないだりしていますよね。高速かつ低遅延という、5Gの特徴を確実にものにしているのは間違いなく中国です。

杉島

アジアでは台湾も、ITによる新型コロナウイルス対策で注目されています。デジタル担当大臣であるオードリー・タン氏の名前もよく耳にするようになりました。

鶴保

これらの国々と日本が違うところは、号令一下で動くところだと思うんですね。コロナ対策で「国民の動向を追跡する」となると、日本の場合はいろんな議論を踏まえなければなりません。

技術だけ見れば、日本でも追跡は実現できるはずなんですよ。たとえば警視庁の「Nシステム」は、走行中の自動車のナンバープレートを自動的に読み取ることで、手配車両の追跡を行っています。ただこれは犯罪者をつかまえるためであって、全ての国民の足取りを追うものではないのです。

Nシステムは現在、高速道路や国道などに 全国1500カ所以上に設置されている

杉島

技術を持っていることと、それをどう使うかは別の話ですよね。

鶴保

そうですね。なんの議論もなく「コロナ対策のために全ての車のナンバーを記録します」といったら、大騒ぎになるでしょう。技術うんぬんより、そこを号令一下でできるか否かの違いのほうが大きいと思います。

杉島

コロナ禍のここ1年、日本は行政をはじめテクノロジー活用の遅れが目立ちましたが、いまのお話を聞くと技術よりも周辺の枠組みや調整といった、「もう一段視座の高い地点」が足りないのではと感じました。

鶴保

日本の社会は、こぢんまりとまとまってしまう面がありますね。日本の役所は終身雇用ですけど、裏を返せば「ワンチャンス」であり、定年までに失敗すればそのワンチャンスを失いかねない。そうなると政治家に忖度するようになり、結果的にシュリンクしてしまう。

アメリカの場合、大統領が役所のトップである長官や局長を外部から任命したりするんですね。ゴールドマン・サックスからファイナンスの専門家を連れてきた、なんてこともある。任期が終われば元の企業に戻るから、忖度する必要はありません。

杉島

外部の視点から思い切った決断ができるのは面白いですね。ただ、人員が入れ替わるのは良いことばかりではないような気もします。

鶴保

まさにその通りです。4年や8年でぐるぐると人が入れ替わることから「回転ドア」と呼ばれているんですよ。前大統領が進めていた改革を、次の大統領が一切やらないという弊害もある。これはこれで難しいですね。

変わらない世界を変えるものこそ、テクノロジーである

杉島

先ほどイスラエルやエストニアではIT教育が盛んである、というお話がありました。IT分野の成長においては、各自がITリテラシーを身につけることも必要かと思うのですが、日本において「ITのここが理解されていない」と感じるところはあるでしょうか。

鶴保

システム構築における設計思想、いわゆる「アーキテクチャ」の概念がまだまだ理解されていないと感じますね。

杉島

具体的にはどういうことでしょうか?

鶴保

例えば、家を建てるとします。最初に木造2階建てにしようと決めて、1階と2階を木造で作ったとする。すると施工主が「やっぱり5階建てにしたい。今から5階建てにしてくれ」と言いだした。当然、無理な話でしょう?

杉島

それはそうですね。最初の設計も、基礎となる土台も、2階建てを想定して作っているでしょうし。

鶴保

ところが、ITの世界ではこうしたオーダーが平気でまかり通るんです。2階建ての上に10階でも20階でも作れると思っているし、木造を鉄筋に変えるのも簡単だと思っている。現場レベルで「データベース構造が」「性能が」と説明しても、トップは納得できない。こういった「アーキテクチャの考え方」に理解がないんです。そんな議論を30年も40年もやっているんですよ。

杉島

長きにわたる課題なんですね。

鶴保

もうひとつの課題として、下請けの構造があります。特に大きな案件は一次請け、二次請け、三次請け……と、下請けが多重になりがちです。たとえ二次請けがきっちりと土台を作ったとしても、三次請けが上にボロボロのものを作ってしまう場合があるんですよ。そうとは知らない一次請けが機能追加を発注すると、さらに事態が複雑になってしまう。

杉島

アーキテクチャに詳しい人が1人だけいても、全体の底上げにはならない……。悩ましいですね。

鶴保

増築を繰り返した温泉旅館のようなもので、どこがどうつながっているか把握している人が限られてしまい、属人的な運用になってしまいます。こういう問題こそ私が研究していたソフトウェア工学で解決するはずだったんですが……。

杉島

運用に問題が生じるならば、技術で解決するわけにはいかないのでしょうか?

鶴保

たとえばゲーム業界では、さまざまな部品を蓄えた「ゲームエンジン」という仕組みがある。部品の組み合わせを指定すれば、コードを書かなくてもゲームが自動生成されるんですね。

こうした仕組みを他業界のシステムでも使えたら、属人的な部分は排除できるかもしれません。自動車業界でも、エンジンのシミュレーションツールを駆使するなどして、設計や製造に手戻りが起きない取り組みが進められています。

ただ結局、こうしたツールを作っているのは、ほぼ欧米なんですね。技術者に加え、投資家やマーケターなどがチームになっているから、ファイアンスなどにも強みがある。技術に加え、ビジネスにも長けているわけです。

杉島

そうした状況のなかで、日本でIT分野を成長させるには、これからどのようなことを意識していけばよいのでしょうか?

鶴保

日本はこれまでも変わらなかったし、これから劇的に変わるわけでもないと思うんです。長年にわたって形成された習慣や風習、考え方を、変える努力こそ必要ですが、完全に変わるとは思えません。

ならば、もっと技術に磨きをかけて、世界を圧倒するくらいのテクノロジー集団になっていくしかない。日本は「技術立国」として生きていくことになるのではないでしょうか。考え方は変わらなくても、テクノロジーは確実に日本を、そして世界を変えたわけですから。

後編に続く

(企画・取材・執筆:井上マサキ 撮影=小野奈那子 編集:鬼頭佳代/ノオト)