2023.05.19

全世界6万5000人の社員に会社のビジョンを浸透させるには? 巨大グローバル企業の人材戦略について聞く(豊田通商 経営幹部 CHRO・濱瀬牧子氏×トレノケートHD代表・杉島泰斗 対談 後編)

総合商社として、世界130カ国にグループ会社を1000社以上展開し、6万5000人以上の社員を抱える豊田通商。「パーパス経営」をはじめ、会社のミッションやビジョンを共有することが重視されるなか、グローバルに対しどのようにビジョンを浸透させているのでしょうか。

前編に引き続き、豊田通商でCHRO(最高人事責任者)を務める濱瀬牧子氏に、ビジョンを浸透させる取り組みをはじめ、グローバル企業の人材戦略について伺いました。聞き手はトレノケートホールディングス代表取締役社長の杉島泰斗です。

取材先のプロフィール

濱瀬牧子(はませ まきこ)氏

豊⽥通商株式会社 経営幹部 CHRO(最高人事責任者)

MBA取得後ソニー株式会社にて、国際⼈事、Sony University設⽴・運営、NYにてタレントマネジメント構築、⽇本初インド採⽤等採用変⾰、 国内関連会社⼈事総務責任者、本社統括部長等、戦略⼈事から労務⼈事管理に⾄るまで⼈事全般を歴任。2013年株式会社LIXIL⼊社。執⾏役員、上席執⾏役員を経て、理事(グローバル⼈事本部⻑)及びGROHE Holding GmbH取締役、グローバルHQの 組織⼈事ガバナンス、COEを統括。2019年6⽉ 豊⽥通商株式会社入社、CHRO(最高人事責任者)に就任。経済産業省等省庁・各種団体委員、大学評議委員、講演等も務める。

インタビュアー

杉島 泰斗(すぎしま たいと)

トレノケートホールディングス 代表取締役社長
熊本県出身。東京工業大学を卒業後、SCSデロイトテクノロジー、不動産ポータルサイトLIFULL HOMES、株式会社クリスク 代表取締役を経て現職。

INDEX

目次

トップライン、リーダー層から新人へ。ビジョンを浸透させる取り組み

「社長が言うことは1割しか理解されていない」

ビジョンを共有した仲間から生まれる「報酬プラスアルファ」

トップライン、リーダー層から新人へ。ビジョンを浸透させる取り組み

杉島

130カ国にグループ会社1000社以上、全世界に6万5000人の社員がいるなか、御社ではどのように理念やビジョンを浸透させているのでしょうか。

濱瀬

今、弊社で掲げている「Be the Right ONE」というビジョンは、私が入社する前にできたものです。過去の失敗を分析したうえで「自分たちは正しくありたい」「価値提供をしていきたい」という思いから生まれたと聞いています。

実は、私はこのビジョンがとても気に入っていて。「Be the Right ONE」があったから入社したと言っても過言ではないんです。今日こちらにいらっしゃるとき、エレベーターに「Be the Right ONE」が掲げられているのは、ご覧になりましたか?

杉島

ええ、拝見しました。受付にも大きく掲げられていましたね。

 

濱瀬

まだ入社を迷っていたとき、私はそれを見て「なんちゅうええ会社や」って思ったんです(笑)。これを真正面から言える会社はなかなかない、青臭さも含めていいなと思いまして。

ところが、入社してから研修などで「みんなはどれくらい『Be the Right ONE』を意識してる?」と聞くと、どうもふわっとしているんです。人事考課にも、落とし込めているようで落とし込めていない。せっかくいい形で作られているのに、もったいないなと。

杉島

言葉は知っているけど、腹落ちまではしていないというか。

濱瀬

そうですね。言葉にせずとも実践している人たちはたくさんいましたが、会社のアイデンティティとして認識しているかというと人による、みたいなところがありました。そこで、もっと浸透させるために、グローバルで行うリーダー研修に「Be the Right ONE」を取り入れるようにしました。具体的には、マネジメント層が言及する時間を大幅に増やしました。メンバーに伝えるメッセージには、必ず「Be the Right ONE」に紐付けた話をしてもらうようにしたんです。

ただ、話を聞くだけでは浸透しません。半年間に及ぶ研修プログラムの最後には、「自分にとってのBe the Right ONE」を受講者一人ひとりに発表してもらいます。これまでの歩みや、自分が大事にしているものを、考えて考え抜いてアウトプットしてもらう。国内外含め3年ほど続けてきた今、言語化、見える化したという点でだいぶ広がりつつあると感じています。

杉島

リーダー層以外についてはいかがでしょうか?

濱瀬

全体への浸透は、まだまだこれからですね。例えば、新入社員やキャリア採用時のオンボーディングで必須となるコンテンツを共通化して、漏れなくビジョンについて理解してもらうようにしたり、昇格者イベントで経営陣と対話会を開催して、相互議論をしたり。

もうひとつやりたいのは、経営陣が海外を回るときに、ラウンドテーブルの場を設けて社員と話す場を設けること。コロナ禍で3年ほど海外に行けなかったのですが、2022年秋から再開したので、これからまた少しずつ機会を増やしていきたいですね。

「社長が言うことは1割しか理解されていない」

杉島

弊社の海外拠点は15カ国26拠点なので、まだ全員の顔が見えるほうだと思うんです。学校に例えるなら、クラス全員の名前がわかるというレベル。一方、御社は130カ国に1000社以上も拠点があります。もはや校長が全校生徒を把握するような困難さだと感じるのですが……。

濱瀬

それは面白い例えですね(笑)。確かに、海外拠点全てを把握するのはなかなか難しいですし、権限委譲を進めつつ、こちらにも情報が上がるようにしています。とはいえ、再び海外に行けるようになってきましたし、できる限り直接会いに行くのは自分の仕事だと思っていますね。

杉島

とはいえ、日本と海外では商習慣や給与体系が異なりますよね。そうなると、営業目標の達成を何よりも重視する組織や、掲げた言葉に共感しづらい文化のチームがあることも想定されます。

グローバルにビジョンを浸透させる場合、国内とは違う難しさがあるのではないでしょうか?

濱瀬

ビジョンやバリューについては、正面から反対する人は滅多にいないと思うんです。総論は賛成でただ、それを一人ひとりが自分事にして日々体現しているのか、そこが肝になると思っています。

だからこそ、まずは「仕組みに落とすこと」でしょうね。人事考課にビジョンを体現するための指標を取り入れることや、年頭挨拶や業績発表など、さまざまな場で繰り返し訴えかけるのでもいい。そもそも、グローバル大企業の社長は、言っていることは1割位しか社員に通じていないと思ったほうがいいんです。

 

杉島

それは実感としてありますね……。100回同じことを言って、ようやく伝わるどうかといった印象がありますから。

濱瀬

そうですよね。ですから、浸透させる方法のふたつめは「トップが人にエネルギーを割くこと」なんです。

「この会社はこうありたい」というビジョンは、トップが叶えたい夢でもありますよね。それなら、なぜそう思うのか、何を社員に期待しているのか、どういう行動を取る人が評価されるのか……ということを、繰り返し伝えていくべきでしょう。

杉島

1割しか理解されないなら、今の10倍以上の時間をかけなければいけませんね……。これはもう、今日から実践します。

濱瀬

あともうひとつ、ビジョンを浸透させる方法を加えるとしたら、「報酬」ではないでしょうか。海外と仕事をしてみると、やはり精神論や文化醸成によるコミットだけではなく、行動実績を図るというリアリティも必要と感じます。

加えて、適切な報酬については、もちろん都度考えていくわけですが……ただ、それだけだと面白くない、せっかく貴重な時間を共に過ごすなら、この会社で働くことが楽しいとか、財産となる仲間ができたとか、報酬プラスアルファのものをいかに作れるかが求心力の鍵になると思っています。

ビジョンを共有した仲間から生まれる「報酬プラスアルファ」

杉島

報酬プラスアルファのものと聞くと、労働環境の改善や福利厚生の充実などが浮かびますが、人事としてできることは何でしょうか?

濱瀬

グローバル化の一環としてまさにいま取り組んでいるのが、評価指標の統一です。グローバルのメンバーを入れたチームでの議論を経て、コンピテンシー(評価基準となる行動特性)をシンプルにしました。

日本の本社が勝手に作るのではなく、違う背景や意見を持った者同士が、わっと意見を混ぜ合わせて作るべきだろうと。意見が違うので当然時間もかかるし、時差もあるしで大変なのですが、この大変さこそがダイバーシティだと捉えています。

杉島

前編では、ビジネスが多様化したことで、日本企業が中央集権型で主導することが難しくなってきたことから、海外を含めて組織を強化する「グローバル化」に取り組まれているというお話がありました。評価指標の議論は、まさにこの「グローバル化」を体現したものですね。

濱瀬

 そうですね。グローバルで、ゼロからみんなで議論することが大事ですから。「これを乗り越えなければ絶対にいいものはできない」と、メンバーにも働きかけていました。

杉島

ちなみに、以前の評価指標はどのようなものだったのでしょうか。

濱瀬

リーダーシップ評価には全部で54個の項目がありました。上司と社員それぞれが、この54個から伸ばしたい能力を5個選び、それに対してKPIを立て……という流れだったんです。

 

このやり方自体は、間違いではありません。ただ、会社が6万5千人と大きくなっており、先述のビジョン浸透、「Be the Right ONE」につなげるストーリーを描くためには、「どれでもいいから伸ばしましょう」ではなく豊通グループ社員である限りこれだけは絶対に備え、ステージを上げていってほしいもの」という項目を用意したほうがいい。そこで、54個からメイン項目5個、サブ項目11個に絞り込み、グローバルを含めた全社員共通の評価指標としました。全社徹底展開は推進中ですが。

杉島

確かに、そのほうが常に意識しやすいですね。

濱瀬

グローバルで取り組むのであれば、分かりやすいものにしなくてはいけません。シンプルになった代わりに、この評価指標は絶対守るべきものになりました。どんなにパフォーマンスが良くても、売上を上げても、評価指標に沿わなければ「Be the Right ONE」のストーリーに沿わないことを意味するので、評価の対象にはなりません。

杉島

評価指標と連動したことで、ビジョンが浸透しやすくなりますし、同じビジョンを共有した仲間同士が結びつくことで「報酬プラスアルファ」の部分も生まれやすい……。なるほど、すべてはつながっているわけですね。

濱瀬

人事としては、同じ志を持つ集団をつくることで、最高最強の組織を創りたいと思っています。離職もあるでしょうが当人の成長のためにもポジティブな退職であってほしいし、共鳴共感できるよい仲間と人生の日々を過ごせたことは素晴らしい財産だと思うのです。たとえ会社を離れても、いろいろな機会につながることもあるでしょう。

杉島

人とのつながりは続きますからね。弊社のクライアントにもグローバル展開をされている企業さんが多いので、今日の濱瀬さんのお話は有益なヒントになったと思います。なにより、私自身とても学びの多い時間になりました。今日はありがとうございました!

(取材・執筆:井上マサキ 撮影:小野奈那子 編集:鬼頭佳代/ノオト)