2023.11.28
転機に直面した時、何をどう選んだか? – 田中淳子の『人材育成』応援ラジオ 書き起こし
本記事では、トレノケート株式会社で配信しているVoicy番組 田中淳子の「人材育成」応援ラジオ から、好評をいただいた放送をピックアップして文字としてお届けします。
音声でお聞きになりたい方は、Voicy内チャンネル をご覧ください。
田中淳子の「人材育成」応援ラジオ とは
パーソナリティは、人材育成に携わって37年、人材教育シニアコンサルタントの田中淳子が務めます。自社の人材育成を考える上でヒントとなるようなちょっとした知識やスキル、具体例など、人材育成にご興味・関心がある方向けに役立つヒントを毎日約15分でお話ししています。
今回は、トレノケート株式会社の社員との対談回 #092 キャリアを”言語化”する。転機に直面した時、何をどう選んだか?キャリアの理論と関連づけて考えてみる【対談:井田潤(IT講師)】 を取り上げます。
50代で異業種からIT講師へ転身した井田潤のキャリアを通じて、ミドル世代のキャリアデザインを読み解きます。
※なお、読みやすさを意図して、会話の内容、趣旨を変えずに表現などを一部変更しています。
INDEX
目次
説明力不足克服のため、社内講師にチャレンジしたエンジニア時代
50代を目前に「一番楽しかった仕事」へキャリアチェンジ
「人生の節目でキャリアをデザインする」重要性
田中 淳子 (たなか じゅんこ)
トレノケート株式会社 国家資格キャリアコンサルタント、産業カウンセラー
ビジネススキル全般のコースを担当。新入社員研修からリーダー層、管理職層まですべての人材開発に携わる。2018年度からは「1Day REAL」シリーズを立ち上げ、「1日で学べる超実践的コース群」を充実させるプロジェクトを推進中。近年は、「全社モチベーション向上研修」「全社キャリア開発支援研修」など、「全社員向けの施策」のコンサルテーションから入り、研修とその後のフォローまでに関わっている。組織をより良くするとともに、働く個々人がよりハッピーになるお手伝いに力を注いでいる。
著書:はじめての後輩指導、ITエンジニアとして生き残るための「対人力」の高め方 (共著)、事例で学ぶOJT: 先輩トレーナーが実践する効果的な育て方
井田潤(いだじゅん)
トレノケート株式会社 CISSP、CEI、CEH、CND、SG、CTT+
2016年にグローバルナレッジネットワーク株式会社(現トレノケート株式会社)に入社。新規事業開発、DX、セキュリティ関連コースの企画・開発、実施などを手掛ける。
一般財団法人日本サイバーセキュリティ人材キャリア支援協会(JTAG財団)企画運営統括委員。日本ネットワークセキュリティ協会(JNSA)教育部会産学連携プロジェクトメンバー。
著書:ポケットスタディ 情報セキュリティマネジメント 頻出・合格用語 キーワードマップ法 テキスト&問題集258題(秀和システム)。
説明力不足克服のため、社内講師にチャレンジしたエンジニア時代
田中
今日は同僚の井田さんにお越しいただきました。よろしくお願いします。
井田
井田潤と申します。よろしくお願いします。
トレノケートではセキュリティを中心に講師を務めていました。今は新規事業の開発を担当しております。
田中
井田さんが50代で転職して来られる前はSEだったとのことで、どうして講師になられたのかを伺っていきます。
そもそも、SE時代にはどういう仕事をなさっていたのでしょうか?
井田
もともとプログラミングがすごく好きで、学生時代からプログラムを書いていました。
就職してプログラマーになり、企業のネットワークやシステムに関わることがすごく増えたんです。SEになってからは、セキュリティを中心にプロジェクトマネジメント、ネットワークサーバー、クラウドなど、幅広く経験を積んできています。
田中
では、あらゆるIT・システム周りの仕事をなさってこられたんですね。
井田さんはSEのときに衝撃的な経験をされたということですが、内容を簡潔に教えていただけますか?
井田
30代半ばになると、ある程度お客様の前で説明をする機会が増えますよね。
あるとき、責任者としてお客様と話すタイミングで、重要な内容を説明しきれなかったことがありました。責任者の立場でありながらその場では解決できず、宿題をいただくという形になり、意気消沈して帰ったのを今でも忘れられません。
田中
それはご自身の説明力が足りなかったからですか?
井田
はい。技術的な説明は昔からよく求められていたので、その時も大丈夫だと思っていました。しかし、お客様が何を求めていたかをきちんと把握できておらず、ちぐはぐな回答をしてしまい……
あまりよろしくない結果に至ってしまったのです。
田中
結構、衝撃的な出来事だったんですね。
井田
そうですね。
お客様と話すのは楽しいですし、今まで慣れていただけに、あそこまで全然説明できなかった経験が自分にはなくて。なんでこんなことになったんだろうって、その衝撃がずっと尾を引いていました。
田中
相当ショックだったんですね。
そのあとはどうしたんですか?
井田
このままじゃたぶんダメだろうと考えました。
自分に足りないところを補完しながらこの先のキャリアを積む方法を探っていたとき、ふと目についたものがあったんですね。
それはITの講師の社内公募でした。私でいいですかと申し出たら、いいよと。
そしてSEの道を一回外れて、ITの技術講師へとキャリアを移しました。
田中
そういった理由があって、経験豊富なエンジニアとしてご活躍なさっていた方が、今度は講師をやってみようとキャリアチェンジされたわけですね。
そのときもセキュリティの講師ですか?
井田
そうですね。
私が当時セキュリティをメインにしていたのと、会社としてもセキュリティの講師が足りなかったので。
田中
ご自身に足りないのは説明力だろうと分析されたあと、実際にそこを強化できる講師になってみてどうだったんでしょうか。
井田
たくさんの学びがありました。
お客様と対峙する場面で自分に足りなかったことが分かり、別の方にお話をするときに活かすことができるようになったので、自分にとってはとてもいい時間だったなと思っています。
田中
SEのときにはそこに気づけなかったんですかね。
井田
全く気づかなかったですね。
田中
なぜ講師になったら気づけたんですか?
井田
いろんな方にご受講いただく中で、受講者さんのお求めになるものがそれぞれ違うということがわかったんですね。
そして、講師は相手の目線に立ってご説明しなければいけないので、そこで「この方は何を知りたいのか」といった相手の意向や、それに対してどう回答したらいいかなどのテクニックを身につけられました。
田中
つまり、「エンジニア」として「お客様」と対峙しているときには、頷いてくれている相手もおそらくエンジニアさんで、話が噛み合ってるかなぐらいにしか思わなかったと。
しかし、役割が「講師」に変わり、相手を「受講者さん」「学びに来られている方」と捉えてから、視点が分析的に変わったんですかね?
井田
そうですね。
例えば目の前の方が頷いていらっしゃる場面でも、実はこちらの伝えたい内容をきちんと汲んでいただいていない場合もあると思います。
田中
なるほど。
そのとき、どのぐらい講師をなさったんですか?
井田
だいたい三年ぐらいですね。
50代を目前に「一番楽しかった仕事」へキャリアチェンジ
田中
そのあと一回SEに戻られて、しばらくしてさらにトレノケートに転職されたんですよね。
SEに戻ったあと、結局講師を目指してトレノケートに来られたのは何がきっかけだったんですか?
井田
仕事を続けていくと、いろいろなタイミングで自分のキャリアを見直すと思うんです。
自分でも50歳を目前にして、今までの仕事の棚卸をしました。一番楽しかった仕事ってなんだろうとそのとき考えて、ITの技術を教えていた講師の時代がとても良かったと気づいたんです。
田中
そこでトレノケートの募集をご覧になって、じゃあ講師になろうかって思われたんですね。
井田
そうですね。たまたま求人雑誌に載っていました。
田中
トレノケートは教育専門の会社じゃないですか。
IT事業の会社ではなく、教育・人材育成の世界で講師を務めてみての気づきや学びはありましたか?
井田
いろいろな先輩もいらっしゃいますし、受講者の方も多様ですので、たくさんの気づきを得られます。とても楽しい時間を過ごしていますね。
田中
例えば何が楽しいですか?
井田
まず、感謝のお声をいっぱいいただけるのはとても嬉しいなあと思います。
通常の会社では、上司から評価されることは多いと思いますが、上司以外にお客様からもご評価いただけるのがとても嬉しいですね。
また、知識もどんどんアップデートしなければいけないので、学びの時間をたくさん取ることができます。これもすごく楽しいですね。
田中
それはわかりますね。
講師は勉強するのが仕事みたいなものだから、日中、本読んでいようとマニュアル読んでいようと別に怒られないし、むしろ推奨される行為ですよね。
井田
はい。勉強して怒られない環境ってなかなかないと思います。
田中
この放送をお聞きの方も、「日中勉強しているといろいろ言われる」とおっしゃる方が多いんですけど、講師業だとないですよね?
井田
ないですね。
田中
では今50代半ばで、ご自身のキャリアチェンジを振り返ってみてどうですか?
井田
よかったなと思っています。
やっぱり、知識は何ものにも代えがたい自分の資産なので、それを業務を通じて得られるのはなかなかの僥倖かなと。
田中
それでは、このあと井田さんのキャリア全体のまとめと、さらにキャリア論的な解説を少し加えてみようと思います。
「人生の節目でキャリアをデザインする」ことの重要性
田中
キャリアを考える上で「Will-Can-Must」のフレームワークが使われることがあります。それぞれ「何をしたい」「何ができる」「すべきこと、ミッション」のような内容をあてはめるものです。
ここまで井田さんの長いキャリアをギュッと凝縮して伺ったところ、ターニングポイントが二つあるなと。
一つは30代後半に差し掛かるころですよね。
ご自身に、説明力や相手に寄り添って何かを理解していただくといった部分が足りないなと思われて、そこを強化すべく講師になられて。
井田さんの30代後半のターニングポイントでは、まず「Can」を増やそう、説明力を身に着けようとなさっていますよね。
そのあと50代が近づいてきて、今度は「Will」、つまり「自分は何が一番楽しい、何にやりがいを感じるのか」に着目されています。
ご自身のSE時代、社内講師時代、そのあと復帰されたSEの仕事なども思い浮かべて「今までのキャリアで一番わくわくした、楽しかったこと」へと思考を巡らせた結果、「Will」は教える仕事、つまり講師だと気づかれたということですかね?
井田
そうですね。
田中
ありがとうございます。井田さんのお話を伺って、以前お客様から教えていただいた話と通じるものを感じました。
昔、自分が聞きかじった「一番楽しかった仕事を思い出すと、キャリアの節目を乗り越えられるらしい」といった内容をブログに書いたんですよ。
そのあと、お取り引き先の人材育成担当の方から「田中さんのブログを読んで、自分が一番楽しかったのはいつだろうと考えたら、人材育成のキャリアの中でも、特に企業でOJTを推進する仕事をしていたときだった。だから、それをやろうと思って転職を決意した」と教えていただいて。
やはり、楽しかったときの自分を思い出すことは、すごく大事なんだなと改めて思いました。
でも、「一番楽しかった仕事」には、なかなか考えが及ばないですよね?
井田
そうですね。どこかで人生やキャリアの転機があれば、気づくかもしれないです。
田中
何かにつまずいたとか、年齢が大台に乗ったとか、それこそミドル・シニアの方だと子供が独立したとか、いろいろな節目で一回立ち止まって考えるときに意識するといいですよね、きっと。
井田
はい、そう思います。
田中
立命館大学の教授で神戸大学名誉教授でもある金井壽宏(かない・としひろ)先生が提唱されたキャリア論で、以下のような内容でした。
・自身のキャリアは人生の節目できちんとデザインすべき(キャリア・デザイン)
・節目でデザイン・調整したら、あとはしばらく流れに身を任せる(キャリア・ドリフト)
井田さんの場合は、一度目の節目で「Can」の強化、つまりご自身の説明力不足の克服のために講師になると決められて、そのまま三年間講師を続けていらっしゃいますよね?
そしてSEに一旦戻られたあと、50代を目前に定年までどう生きるかを改めてお考えになった。そこが二度目の節目で、改めてエンジニアから講師へとご活躍の場を移されていますよね。
お話を伺っていると、井田さんはまさに「節目の(キャリア・)デザイン」「キャリア・ドリフト」を体現されているなと感じました。
井田
そうですね。
田中
では、今日はここまでにしましょうか?
今回は50代からのキャリアチェンジとか、「Will-Can-Must」の見直し、節目のデザインなどいろいろポイントがあったと思います。
井田さん、ご登場ありがとうございました。
井田
すごく勉強になりました。ありがとうございました。