2022.07.25

人材の偏り、横並び意識……日本でDXが進まない背景にあるもの(デジタル人材育成学会 会長・角田仁氏 ×トレノケートHD代表・杉島泰斗 対談 前編)

コロナ禍に背中を押されるような形で、日本でもリモートワークなど、デジタルを活用する動きが加速しています。あらゆる産業で喫緊の課題となっている「デジタルトランスフォーメーション(DX)」も、その一つです。

しかし、その歩みは決して早いとは言えません。なぜ日本のDXは、なかなか進まないのでしょうか? そこで今回は、千葉工業大学の社会システム科学部 金融・経営リスク科学科の教授であり、デジタル人材育成学会会長でもある角田仁氏に、デジタル人材にまつわる課題と、日本のDXが進まない理由について伺いました。聞き手はトレノケートHD代表取締役社長の杉島泰斗です。

取材先のプロフィール

角田 仁(つのだ ひとし)氏

千葉工業大学 社会システム科学部 金融・経営リスク科学科 教授/デジタル人材育成学会 会長。
1989年に東京海上日動火災保険へ入社し、主にIT部門においてIT戦略の企画業務を担当。2015年からは同社IT企画部参与(部長)および東京海上日動システムズ執行役員を歴任。情報セキュリティやITサービスマネジメントの総責任者を務めたほか、多くのIT人材の育成にも尽力する。2019年に大学教員へ転じ、2021年より現職。同年4月にデジタル人材育成学会を設立する。著書に『デジタル人材育成宣言』(クロスメディア・パブリッシング)。

インタビュアー

杉島 泰斗(すぎしま たいと)

トレノケートホールディングス 代表取締役社長。
熊本県出身。東京工業大学を卒業後、SCSデロイトテクノロジー、不動産ポータルサイトLIFULL HOME’S、株式会社クリスク 代表取締役を経て現職。

INDEX

目次

DXの課題は最終的に「人材と組織」へ行き着く

DX推進の鍵を握る「横並び意識」の功罪とは

大学も「デジタル人材の育成が急務」と認識している

DXの課題は最終的に「人材と組織」へ行き着く

杉島

角田さんは2021年4月に「デジタル人材育成学会」を設立されましたが、まずは学会設立に至った背景を聞かせていただけますか?

角田 仁(つのだ ひとし) 千葉工業大学 社会システム科学部 金融・経営リスク科学科 教授。デジタル人材育成学会 会長。 2021年4月にデジタル人材育成学会を設立する。著書に『デジタル人材育成宣言』(クロスメディア・パブリッシング)。

角田

人材育成に関する危機感が主な動機となります。日本では2016年ぐらいからDXに取り組む企業が現れはじめ、これから大きな潮流となることが予想されました。ただ、当時はDXがまだ一般的に知られておらず、「これから多くのデジタル人材が必要になる」という危機感を共有できていなかったんですね。

DXには技術的な課題を始め、さまざまな障壁があります。しかし、最終的には「人材と組織」の問題に行き着く確信がありました。当初はデジタル人材を育成する協議会を作ろうかと考えたのですが、2019年に大学に身を転じたこともあり、アカデミックな方面からアプローチできればと学会の設立に至りました。

杉島

角田さんの著書『デジタル人材育成宣言』では、さまざまな企業の方にヒアリングされたと書かれていました。やはり「人材と組織」が課題だと認識している企業は多かったのでしょうか。

角田

そうですね。特にデジタル人材の質と量については「日本はどちらも圧倒的に足りない」という見解が多く聞かれました。

IT企業の場合、保守運用といったレガシー領域の人材は足りているため、DXに向けたスキルチェンジなど「質」の確保がより重要となります。一方、情報システムやソフトウェアを利用する側であるユーザー企業は人材そのものが足らず、「量」の確保から始めなければなりません。

この構造は、1970年代から連綿と続いてきたものでもあります。多くのユーザー企業はITをベンダーに依存し、社内にエンジニアを入れてきませんでした。システムが複雑化するにつれ、さらにベンダーに任せるほか選択肢がなくなってしまい、現在に至るわけです。

杉島

なるほど。一方でアメリカは、ユーザー企業が多くのエンジニアを抱えていると聞きます。日本とアメリカでは、デジタル人材への意識はどう異なるのでしょうか?

角田

おっしゃる通り、アメリカ企業は内製化を基本に考えており、大きな金融機関ともなると数千人単位でIT部門の人材を抱えていますね。経営者がトップダウンでITを進めてきた結果と言えるでしょう。

一方、日本の経営者の場合、「テクニカルなことは自分たちの仕事ではない」という考えが根強く、経営において技術者を軽んじている印象があります。IT部門のステータスが低く、エンジニアの待遇も他国に比べて低い。こうした経営者の意識の違いが、長年にわたり積もり積もった結果、今になって問題が噴出しているのではないでしょうか。

杉島

そうなると、海外への人材流出も「人材と組織」の課題となりそうですね。

角田

そうですね。これまでは海外のエンジニアを好待遇で迎え入れてきましたが、日本のほうが物価安になり、デジタル人材の報酬も上がらないとなれば、今度は日本から技術者が出ていくことになりかねない。コロナ禍が終わり、再び人材がグローバルに流動するようになったとき、この懸念が現実になるのではと危惧しているところです。

DX推進の鍵を握る「横並び意識」の功罪とは

杉島

「DX」というキーワードが登場して久しいですが、今なお「DXがなかなか進まない」という声を耳にします。先ほどお聞きした人材の課題もあると思いますが、なぜ日本はDXが進まないのでしょうか?

杉島 泰斗(すぎしま たいと) トレノケートホールディングス 代表取締役社長。 熊本県出身。東京工業大学を卒業後、SCSデロイトテクノロジー、不動産ポータルサイトLIFULL HOMES、株式会社クリスク 代表取締役を経て現職。

角田

まず「変革が苦手」「横並び意識が強い」といった、文化的な背景があると思っています。真面目で保守的だから、ペーパーレスひとつとってもなかなか進みません。

「品質を良くする」「1時間かかっていたものを50分にする」といった、決められたレールの上で改善するのは得意でも、新しいレールを敷くことには及び腰になってしまう。経営者だけでなく個人も、変革によって「出る杭」になることを恐れているように思います。

杉島

出る杭が打たれる、叩かれるという社会では、変革は進まないでしょうね……。

角田

余談ですが、私の知り合いに20代でベンチャー企業を起こして、急成長させている若者がいるんです。話を聞くと「マスコミには絶対に出ないし、上場もしない」と言うんですね。目立つと叩かれるのが分かっているから、「人に知られたくない」と。

杉島

それもひとつの戦略というわけですね。しかし、これは裏を返すと「周りがみんなDXに取り組んでいる」という状況になれば、「うちもやらなければ」と取り組みが広がるような気もします。

角田

そうですね。良くも悪くも横並び意識が強いので、うまくすれば一気に社会を変えられる可能性もあるでしょう。昨年はデジタル庁が発足し、「DX」や「デジタル人材」という言葉も一般的になってきました。これを好機と捉えて、成功事例を積み上げていければ、ガラッと状況が変わるかもしれませんね。

杉島

また一方で、DXが進まない理由には産業構造的な背景もあるのではと思います。先ほど仰っていた「ユーザー企業にエンジニア人材がいない」といった現状も、DXが進まない原因となるでしょうか?

角田

大いに関係があると思います。業務改革を伴うDXやデジタル化は、内製化が大前提です。外部からベンダーが入ってDXを取り仕切るのは、ほぼ不可能といっていいでしょう。

大手コンサル会社も、DX推進の依頼には頭を抱えていると聞きました。日本中からかなりの数の「助けてほしい」という声が寄せられているそうなのですが、なかなかうまくいかない、と。外部からは依頼主の業務を把握しきれないので、コンサル部隊の人間を出向させて「中の人」にしてみたり、CTOやCIOの右腕として入ったり、いろいろと模索しているようです。

角田

しかし、そもそもユーザー企業の中でデジタル人材が育っていれば、ここまでDXに苦労しなかったはずです。IT企業からユーザー企業へデジタル人材を移動させる「ユーザーシフト」を、もっと強力に推進していくべきだと私は考えています。

大学も「デジタル人材の育成が急務」と認識している

杉島

大学でのデジタル人材育成についても教えてください。2019年に角田さんが千葉工業大学に移られて以降、デジタル人材教育はどのような状況なのでしょうか?

角田

ここ数年で、だいぶ前向きな空気になってきましたね。例えば、昨年度から内閣府の主導で「数理・データサイエンス・AI教育プログラム認定制度」というものが始まりました。DXを担う人材を育成するとして、「数理・データサイエンス・AI」に取り組む大学や高専を国が認定し、支援するものです。文系理系問わず、年間約50万人の学生を対象にリテラシーの底上げを図るとしています。

杉島

そんな制度が始まっていたんですね。これは全国の大学や高専が必ず認定を受けなければならないのでしょうか?

角田

いえ、現状は挙手制になっていますね。私が所属する千葉工業大学をはじめ、理系の大学が先に手を挙げていますが、文系の大学でも2~3年のうちに着手することになるでしょう。認定制度自体は国の主導ですが、大学側も「デジタル人材の育成が急務」という認識は共通していますから。

また、大学教育以前でも、高校では情報科目が必修化され、2025年から大学入学共通テストに「情報」が新設されることも決まっています。小学校や中学校では「GIGAスクール構想」が本格化し、タブレットを1人1台配布するなどしていますね。

杉島

全体の底上げに本気で取り組み始めているわけですね。では、専門教育についてはいかがでしょうか。例えば、大学にコンピュータサイエンス学科を新設する、など。

角田

そこまでは至っていないのが正直なところですね。「ボトムアップが先」という考えには同意なのですが、本来なら専門教育も並行して取り組むのがベストでしょう。特にデータサイエンスやAIについては、他国でも教育に力を入れていますので、日本も早く追いつくべきだと思います。

杉島

日本には、クリエイティブに長けた人材がたくさんいると思うんです。それこそ、世界標準になるような技術を生み出せるポテンシャルもあるはず。そうした人たちがなかなか出てこないのは、やはりもったいないですよね。

角田

そう思います。ベンチャーへの就活が選択肢に入ってきたり、ビジネスコンテストをきっかけに起業する学生がいたり、少しずつ状況は変わりつつあるのですが……。ハッカソンやアイデアソンなどを通じて人材発掘に取り組む大学も出てきていますので、そうした動きがさらに加速すると面白いことになるかもしれませんね。

■後編に続く

(取材・執筆:井上マサキ 撮影:小野奈那子 編集:鬼頭佳代/ノオト)