2022.07.26

2030年に79万人が不足する。デジタル人材不足解消のため、経営層ができることは?(デジタル人材育成学会 会長・角田仁氏 ×トレノケートHD代表・杉島泰斗 対談 後編)

2019年3月、経済産業省は「2030年には79万人のデジタル人材が不足する」という試算結果を発表しました。2021年にはデジタル庁が発足し、岸田内閣がデジタル人材育成に3年間で4000億円を投じると明らかにするなど、政府は対策を進めています。

企業にとっても、デジタル人材の育成は喫緊の課題です。経営層は何を意識し、どう対策を進めればよいのでしょうか? 前編に引き続き、千葉工業大学の社会システム科学部 金融・経営リスク科学科の教授であり、デジタル人材育成学会会長でもある角田仁氏に、デジタル人材不足解消のヒントを伺いました。聞き手はトレノケートHD代表取締役社長の杉島泰斗です。

■前編はこちら

取材先のプロフィール

角田 仁(つのだ ひとし)氏

千葉工業大学 社会システム科学部 金融・経営リスク科学科 教授/デジタル人材育成学会 会長。
1989年に東京海上日動火災保険へ入社し、主にIT部門においてIT戦略の企画業務を担当。2015年からは同社IT企画部参与(部長)および東京海上日動システムズ執行役員を歴任。情報セキュリティやITサービスマネジメントの総責任者を務めたほか、多くのIT人材の育成にも尽力する。2019年に大学教員へ転じ、2021年より現職。同年4月にデジタル人材育成学会を設立する。著書に『デジタル人材育成宣言』(クロスメディア・パブリッシング)。

インタビュアー

杉島 泰斗(すぎしま たいと)

トレノケートホールディングス 代表取締役社長
熊本県出身。東京工業大学を卒業後、SCSデロイトテクノロジー、不動産ポータルサイトLIFULL HOME’S、株式会社クリスク 代表取締役を経て現職。

INDEX

目次

中途採用で人材を奪い合っても、デジタル人材不足は解消しない

デジタル人材の「質」と「量」を解決するためにすべきこととは?

あらゆる企業にとってDX推進の本丸は「人事」にある

中途採用で人材を奪い合っても、デジタル人材不足は解消しない

杉島

2019年、経済産業省が「2030年にデジタル人材が79万人不足する」と試算を出しました。この「79万人」という数字は、諸外国と比較するとどれほどのインパクトを持つものなのでしょうか?

杉島 泰斗(すぎしま たいと) トレノケートホールディングス 代表取締役社長。 熊本県出身。東京工業大学を卒業後、SCSデロイトテクノロジー、不動産ポータルサイトLIFULL HOMES、株式会社クリスク 代表取締役を経て現職。

角田

まず現状の数字からお伝えすると、日本のデジタル人材数は約130万人おり、アメリカ、インド、中国に次いで世界第4位です。この上位3カ国は、数百万人単位で人材が不足していると言われており、デジタル人材不足は世界的な傾向にあります。

日本の経済規模や人材数からすれば、「79万人不足」という数字は世界的な傾向と一致しています。日本だけが特別遅れている、というわけではありません。

ただ、どの国も人材獲得に向けてすでに動き出しているのは事実です。日本もその競争に負けないよう、早急に足元を固めねばならないでしょう。

杉島

前回、「ユーザー企業はデジタル人材が質・量ともに足りない」と指摘されていました。約80万人という膨大な人材不足を補うには、これをクリアせねばならないと思うのですが、現状をどのように分析されていますか?

角田

IPA(独立行政法人 情報処理推進機構)が発行する『DX人材白書2021』によれば、企業がデジタル人材を獲得した方法として最も多いのは「中途採用」、次いで「新卒採用」、「既存人材の活用」という順です。また、DXに取り組む企業の方が、そうでない企業よりも、積極的にデジタル人材を確保していることも分かっています。

角田

ひとまず人を増やすため、即戦力となる中途採用に注力するのは理解できます。しかし、DXが注目された2016年から今に至るまで、中途採用に頼る傾向が続いているのは、あまり良い状況ではないと思っています。裏を返せば、人が育っていないんですね。

杉島

確かに、限られた人材を中途採用の市場で奪い合っていては、人材不足は解消しませんよね。新卒採用や既存人材の活用を通じて、デジタル人材の絶対数をもっと増やさないといけない。

角田

その通りです。特に「既存人材の活用」を推進したいですね。既存人材はすでに企業文化や事業を理解していますし、採用コストもかかりません。「自分の会社に本当はいい人材が埋もれているかもしれない」と、社員を信じて引き上げてもらいたいです。

角田 仁(つのだ ひとし) 千葉工業大学 社会システム科学部 金融・経営リスク科学科 教授。デジタル人材育成学会 会長。 2021年4月にデジタル人材育成学会を設立する。著書に『デジタル人材育成宣言』(クロスメディア・パブリッシング)。

角田

とはいえ、なかなかデジタル人材を確保できないという企業もあるかと思います。デジタル人材の確保を阻害している要因は、どこにあるのでしょうか?

杉島

『DX人材白書2021』のアンケートによると、阻害要因のトップは「要求水準を満たす人材がいない」でした。しかし、私は2位と3位にある「採用予算や人件費の制約」「魅力的処遇が提示できない」のほうが問題だと感じています。つまり、経営者がお金を出していないんですね。

角田

「DXを推進したい」と一生懸命に旗を振るけれど、お金は出さない。これではよい成果も生まれないでしょう。本当にデジタル人材が確保したいと願うなら、まずは積極的な投資をすべきだと強く思います。

デジタル人材の「質」と「量」を解決するためにすべきこととは?

杉島

ここからは、デジタル人材不足解消のためにユーザー企業が行うべきことを、具体的に伺えればと思います。先ほど、中途採用や既存人材の活用についてお聞きしましたが、これは「量」の課題を解決するものと考えてよいでしょうか?

角田

そうですね。「量」の解決については、大きく3つあります。ひとつは「ユーザーシフトの推進」。日本はIT企業側にデジタル人材が集中しています。ユーザー企業側に人材をシフトさせるには、中途採用の推進が必要でしょう。こちらは雇用の流動化もあり、近年ようやく進んできたところですね。

ふたつめは「新卒の大量採用」。今でも大量採用している声も聞くのですが、私から見るとまだまだ少ないですね。金融機関など、これまで理系人材を積極的に採用してこなかった企業でも、採用方針を変えていく必要があると考えています。そして最後が、先ほどもお話しした「既存人材の活用」です。

杉島

なるほど。では「質」の課題についてはいかがでしょうか。

角田

人材の質の向上には、「人事制度の改革」と「社内教育のさらなる充実」の2つが求められると考えています。

「人事制度の改革」でポイントとなるのは、IT部門の人事ではなく、本店人事部そのものの改革です。実は大企業ほど、デジタル人材の人事はIT部門に任せっきりなんですね。「技術的なことはわからないから任せる」と。

しかし今、スペシャリスト採用やジョブ型雇用など、新たな雇用形態も生まれてきています。古い人事制度や慣習を改革するとなれば、これは本店人事部の仕事になるはずです。

杉島

もともとゼネラリスト向けに設計されてきた人事制度に加えて、新たにスペシャリスト向けのキャリアを設ける「複線型」の企業も増えてきましたね。

角田

そうですね。最近の傾向を見ると、デジタル人材確保に真摯に取り組んでいる企業ほど、人事制度にもきちんと向き合っていると感じます。

杉島

もうひとつの「社内教育のさらなる充実」は、まさに先ほど仰っていた「新卒の大量採用」や「既存人材の活用」に紐付くところですね。量を確保したからには、育成しなければならないと。

角田

はい。日本企業はOJTや各種研修など、社内教育にかなりのリソースを割く傾向にあります。ただ、その実情は「内製化」なんですね。新人教育をするのにも、2年目の若手が業務時間内でやりくりしながら教えていたりするわけです。

しかし、デジタル人材が不足している状況で、新たなデジタル人材を「内製化」で教育するとなれば、ノウハウも余裕もないでしょう。社員教育を外注するなど、教育費にさらなる投資が必要だと思います。

あらゆる企業にとってDX推進の本丸は「人事」にある

杉島

ユーザー企業が人材の「質と量」の充実を図る一方で、IT企業側が人材不足解消のためにできることはなんでしょうか?

角田

IT企業側には既に多くのデジタル人材がおりますが、以前のスキルのままでは時流に取り残される恐れがあります。例えば、COBOLでの開発が中心だったエンジニアがPythonを学ぶなど、「リスキリングの推進」をするべきでしょう。さらに「新卒の大量採用」「ユーザー企業との共創」も必要です。

とはいえ、これら3つはすでに大手IT企業で取り組みが始まっていますから、私は楽観視しているんですね。

杉島

そうなんですか?

角田

日本のIT企業には約100万人のエンジニアがいます。その約4割が、大手IT企業に在籍しているんです。日本は経営者も含めて、IT企業側に優秀な人材が揃っています。大企業が旗を振り、これだけの数のエンジニアが取り組めば、すぐに状況も変わるのではないかと思うんです。

杉島

日本企業がどうしても陥りがちな「良くも悪くも横並び」であることが、効いてくるわけですね。

角田

はい。ですから、大変なのはむしろユーザー企業側です。経営者は、これから難しい判断をいくつも迫られるのではないでしょうか。

杉島

人事制度の改革や教育への投資は、まさに経営者の仕事ですね。

角田

そうですね。『DX人材白書2021』に興味深いデータがあったのでご紹介しましょう。教育費の増減について、ユーザー企業とIT企業に聞いたアンケートがあります。どちらも増減の傾向はほぼ一緒なのですが、DXに取り組み済みの企業ほど「教育費が増えた」と回答しているんです。つまり、経営者がきちんとお金を出しているんですね。

角田

確かに、トレノケートへもユーザー企業様からのご依頼は増えていますね。「全社員向けに、何千人単位での研修を行いたい」という相談も多くなってきました。

杉島

別のアンケートでは、既存人材の活用についても触れています。社員に対し「先端業務へ配置転換となった場合、助けになる支援はなにか」と聞いたところ、「報酬上のメリット」「学び直しの支援」を求める声が多数を占めました。

角田

業務が高度化するならそれなりの報酬がほしいし、学び直す時間も確保してほしい。「DXをやってくれ」と上司に言われたとき、何が背中を押してくれるかというと、お金と時間であることが分かります。

杉島

部署異動に伴って報酬をアップするとなれば、人事制度も変えなくてはなりません。ここも経営者にとっては悩ましいでしょうね。

角田

給与体系が変わるとなれば、組合との労使交渉も絡んできますし、年金の額にも影響が出ます。ゼネラリストとスペシャリストにどう差をつけるかも、説明できるよう考えねばならないでしょう。長い年月をかけて連綿と続いてきた人事制度は、そうドラスティックには変えられません。

でもだからこそ、私は「DX推進は人事部のやる気次第」だと思っています。企業にとってDX推進の本丸は、人事であると。経営者がこれを意識し、しかるべき働きかけをするべきです。そのことが、ひいては79万人のデジタル人材不足解消につながるのではと思っています。

(取材・執筆:井上マサキ 撮影:小野奈那子 編集:鬼頭佳代/ノオト)